Nov 30, 2010

コピー用紙の品質と総費用について

一時は会社でコピー用紙の質を落とした時期がありました。コピー用紙自体は安く購入できるようになったようですが、質の悪いから来てコピー機の紙詰まりの修理や印刷不良による再印刷などの総費用はメリットがなかったようです。実際には、コピー用紙は、それだけ長い期間使用されていません。コストを考えるとき目先の安だけを追うのではなく、全体を常に観察して何がベストかどうか知る必要があると考えるようになりました。
脂質が豊富なコピー用紙が出ていた。それぞれの用途に応じて使用方法が異なっています。コピー用紙の色に注目しよう。色も華やかですね。フレーズの使用が楽しくなっていくのです。デスクまわりの素敵な感が浸透しているようです。自分の机の参考となる事項も含まれているのです。
 福島県南相馬市小高地区。ここは東京電力の福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置している。東日本大震災の影響による原発事故が起き、現在は避難指示が出ている地域だ。原発からの距離が近かったこともあり、ようやく福島県警が防護服を着用しながら、行方不明者の捜索を始めたばかりだ。しかし現実には、そこに立ち入ったり、仕事をしている人がまだいる。

相馬市では地震被害も放置状態。復興はなかなか進まない【他の画像】

 南相馬市は福島県の沿岸部、浜通りの北部にあり、相馬市の南に位置する。いわゆる「平成の大合併」で、原町市と相馬郡鹿島町、同郡小高町が合併してできた。旧市町がそのまま、「原町区」「鹿島区」「小高区」となっている。小高区と原町区の一部は、避難指示が出ている原発からの距離20キロ圏に入っているため、市内外の避難所で生活をしている住民が多い。

 放射線量が毎日発表されているが、この20キロ圏内の基準値がほかの地域と比べて著しく危険な数値になっているわけではない。むしろ風向きによっては、南相馬市よりも山村部の飯舘村や川俣町のほうが高い数値になっており、危険性が指摘されている。「計画的避難地域」に設定されたばかりでもある。

●原発の町、南相馬

 この地域は原発とともに生きてきた地域で、東北電力が浪江〜小高地域に建設準備中の原発があるくらいだ。そのため、避難生活をしている人に聞いても、多くの人たちが「原発は安全だと言われていた」と話していた。家族が原発で働いている人も何人かいて、比較的、原発には抵抗感がない地域でもある。そのため、今回の事故には住民たちもショックを隠せない。

 山間部に近い地域で畜産業を営む男性(60代)は肉牛を250頭飼っている。息子夫婦と孫は避難させたが、男性とその妻はまだこの地域に残っている。市街地よりも山間部に近づけば近づくほど、甲状腺被ばく量は高くなる。なぜ、まだそこに留まるのか。

 「肉牛は一頭80万〜100万(円)。逃げたとして、戻ってきた時に牛がいなかったら、生活ができない」

 この牧場は20〜30キロ圏に位置する。屋内退避が発令されている地域だ。しかし、マスクもしていない男性はそう静かに話して、多くを語らなかった。インタビューを終えると、警戒のためか市の消防団の車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。

●20キロ圏内から“逃げない”理由

 20キロ圏内にいる地元の住民たちはどうしてそこにいるのだろうか。20キロ圏内に入ってみた。20キロ圏内に差し掛かると、「立ち入り禁止」の看板がある。その先は、地震被害による道路の補修工事もされていない。そのため、車で進むのも道を選ぶ必要がある。金曜日の即日融資、にも対応

 原発事故が知らされて以来、この地域の住民たちが退避した。そのため、街中には人が見当たらない。地震で崩れている家があってもそのままで放置状態だ。私が最初に20キロ圏内に入ったときには、津波の被害地域でも、自衛隊や警察による行方不明者の捜索も行われていなかった(現在は捜索が再開されている)。

 原発から19キロ付近で、「妻の薬を取りにきた」という、南相馬市原町の加藤正義さん(79)と出会った。加藤さんの家の付近は地震や津波の影響によって道路が寸断されているが、かろうじて加藤さんの家には行けるルートがあった。現在は仙台市で生活をしているという。

 「津波も一階がつかってしまったんだよ。近くの子どもが2人流されたんだ。学校帰りのようだった。(私も)畑仕事をしていて、流されたんだよ。流れてきた木につかまって命からがら、どうにか助かった。その後は一度近くの避難所に行ったが、『ここでは危険だ』ということで、相馬女子高校に避難した。今は、息子がいる仙台に住んでいる」

 加藤さんは地震や津波の被害について話した。そして、

 「こんな災難に遭うとは思わなかった。田んぼは、ほぼ整備してきた。でも、塩分を含んじゃった。国道さえ乾かない。今後、ここで生活できるかは分からない。津波だけなら片付けられる。でも、放射能があって、みんな逃げたんだ。小さな子どもがいるから仙台へ行ったんだ」と落胆する。

 「どこに住んだらいいのか。農家の農地はしばらくだめ。野菜も放射能がどの程度か分からないが含んでいる。子どもは心配だから避難したが、(私は)余命幾ばくもないからいいけどな。原発ができるとき、反対したんだがな。(事故後は)風向きによっては東京の方も(放射能の)汚染してるんだってな。移動するったって、親戚頼るしかない」

 地震と津波に加えて原発事故。それ以来、すっかり地域が一変してしまった。原発から20キロ圏は、一部の住民が忘れ物を取りにくるくらいの、ゴーストタウンになってしまった。原発を建設し、共に歩むということは、街がなくなる以上のリスクを背負っていることを実感した。

 私は、20キロ圏のさらに奥に進むことにした。つまり、東京電力福島第一原子力発電所に近づくことにしたのだ。ゴーストタウン化したこの町で、そこに踏みとどまる気持ちを聞いてみたいと思ったからだ。(続)

●渋井哲也(しぶい・てつや)氏のプロフィール

 1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。

 著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「悩み、もがき。それでも...」を刊行中。許されないくりっく365にご注意ください


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Posted at 10:45 in Baseball | WriteBacks (0) | Edit
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