Jan 16, 2011

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台湾の馬英九総統は26日、台北市文化局や台湾婦女救援基金会が主催した、台湾の元従軍慰安婦らの対日訴訟に関する特別展に出席し、「日本政府は歴史の過ちに対して謝罪する責任を持つ」と発言。注目を集めている。環球網が台湾の報道を受けて伝えた。

 主催者となる台湾の元従軍慰安婦らが対日訴訟を求めた2000年から、同基金会の活動は今年で10周年を迎える。展示会では、元従軍慰安婦らによる日本への賠償要求や、従軍慰安婦問題の教科書記載などを求める運動などが紹介された。

 馬総統はこれまでも元慰安婦の名誉回復活動に積極的に参与しており、同基金会が制作した台湾人元慰安婦に関する記録映画の撮影や、元慰安婦への補償活動などに関わった。また、2008年には、元従軍慰安婦8人と会談し、同問題への関心の高さを示している。

 馬総統は、特別展開会のあいさつで「日本は歴史で犯した過ちと向き合うべき」と述べ、日本は自国の「恥部」を隠すべきでなく、また、謝罪責任を逃れるべきではないとの見解を示した。(編集担当:金田知子)

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【ソウル27日聯合ニュース】日帝による占領期に旧日本軍に強制動員された朝鮮半島出身者1万人余りが終戦後に旧ソ連軍の占領地域で捕虜として収容され、このうち2000人ほどがシベリア抑留者となっていたことが、政府レベルの調査で初めて明らかになった。
 ただ、今回の調査はシベリアだけに限られており、正確な事実を把握するには韓国人捕虜が収容されていた旧ソ連全域を調査する必要があると指摘される。
 政府と徴用被害者の団体「シベリア朔風会」が27日に明らかにしたところによると、「対日抗戦期の強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」は最近、シベリア抑留朝鮮人捕虜問題に対する真相調査を完了した。
 同委員会によると、日帝占領期に旧日本軍に徴用され、第2次世界大戦の終戦当時に中国東北地区で関東軍として服務していた朝鮮人青年は約2万人と推定される。このうち1万人余りは終戦後、中国東北地区、サハリン、千島列島、北朝鮮で旧ソ連軍により武装解除されたのち、祖国に戻れぬままシベリアに連行され、労働を強いられた。
 シベリア全域の捕虜収容所に収容された朝鮮人の数についてはさまざまな説があるが、この1万人余りのうち7000人ほどが、1948年末に健康悪化や日本人ではなく朝鮮人だと確認されたことを理由に解放されたと把握された。このため、捕虜として抑留された朝鮮人は2000人ほどと推測される。
 また今回の調査では、朝鮮人死亡者数は少なくとも60人以上だという事実も公に確認された。ソ連が1991年に日本に渡した、国籍が記載された抑留死亡者約4万人の資料のなかに、60人ほどの朝鮮国籍者が認められた。朝日新聞が作成したリスト、元シベリア捕虜が自ら作成したリストなどの資料に見られる朝鮮人犠牲者統計にも、同水準の死亡者数が記されている。
 ただ、当時抑留から解放されなかった朝鮮人が数千人に上り、旧ソ連は1991年以降にも日本政府に6000人余りの死亡者リストを渡していることから、朝鮮人死亡者の規模はさらに増える可能性が大きい。
 政府の真相調査は、2005年に朔風会会長が中国東北地方に旧日本軍として強制動員された朝鮮人の現況、シベリア抑留背景と実態などについての答弁を要求したことから始まった。
 支援委員会は、日本のシベリア抑留経験者団体「全国抑留者補償協議会」関係者らと会い、資料を収集し、2007年に韓国で口述記録集「シベリア抑留朝鮮人捕虜の記憶」を出版した。

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 にかほ市象潟町出身の阿部哲男さん(03年に78歳で死去)が生前、過酷なシベリア抑留生活を「我が青春の足跡」のタイトルで書き残した。望郷の念むなしく死んでいった、無数の同胞にささげる鎮魂の書だ。
 太平洋戦争末期、北辺戦線は旧ソ連の南下進攻で悲惨を極めた。敗走した日本人捕虜らは収容所に強制連行され、しかばねを凍土に連ねた。その手記が長男九一郎さん(59)の手によって、横手市のイズミヤ出版から世に出された。
 風雪が日本海から突き刺す日、刊行への思いを聞きたいと象潟へ車を走らせた。九一郎さんは両手を強くつかんで「良く来てくれた」と喜んでくれたが、続く言葉が意外だった。「偶然だろうが、この暮れに来て2人亡くなった」
 阿部さんは多くの人を実名で記したが、2人は共に徴用令で動員された郷友という。また、古里から5人が同時入営したが、現存者は1人だけになった。
 戦争は最大の不条理である。秀峰の鳥海山を仰ぎ見た若者も、抗しきれない荒波に次々のみ込まれた。
 その中で、由利本荘市の鎌田正夫さん(85)は無事帰還。最近体が弱って話は聞けなかったが、「父は命だけ持って帰ってきてくれた」という長女文子さん(61)の明るい声に胸がいっぱいになった。年の瀬は、誰もが人恋しくなる。【佐藤正伸】

12月24日朝刊

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